
「忙しい」とは心をなくすと書くのです。
そんなことを言われたことがある。なるほど。
いやいやほんとその通り。
どうにも忙しくなってくると余裕がなくなってくるから、
気持ちがパンパンだから思いやりがなくなってみたり。あたってみたり。
私はあまり「忙しい」という言葉は好きじゃない。
状況を説明する理由で正しく「忙しい」という言葉を使うのはまぁよいとして、
言い訳に「忙しい」を使うのはどんなもんでしょ?って思う。
昔、言い訳として「忙しい」を連呼されて、
「いやそれ状況説明じゃなくて言い訳だから」って指摘しても全然聞き入れられなかった経験がある。
「忙しい」を言い訳にする人は、その「忙しい」を言い訳だと思ってないんだよね。きっと。
見てると、あ!あそこにも!!あんなところにも時間があるじゃない!!ってはっきりわかる。
その人はそんな「時間」を時間として認識してないんだろうな。。
それってすっごくもったいなくないかしら??とか思う。
私も中学生くらいの時はそんな時間を見逃していた。
高校2年のとき、自分より大きな油絵を描いたことがある。
初めて本気で絵にぶつかったのがその時だった。
学校の4階の廊下に新聞をひいて、絵を壁に立てかけて、作業用のつなぎを着て、1ヶ月ひたすら描き続けた。
朝早くきて絵を描いて、休み時間に絵を描いて、昼休みに絵を描いて、放課後に絵を描いて、休日も絵を描いた。
その時に、今まで自分が認識してなかった「時間」の存在に気づいた。
なんだこんなに時間ってあるんじゃんって。
この未知なる「時間」との遭遇[謎]は私を劇的に変化させた。
時間に対するキャパシティーが多くなったきがする。
いいのかわるいかは…?だけども、この経験があるから、今の自分があるのだと思う。
「忙しい」って自分で限界を作っちゃうんだなーって私はそう思う。
時間はある。でもなにかしら負の気持ちがその時間を認めようとせず、
目に見える時間だけで計算して「忙しい」という結論を出すのが、言い訳としての「忙しい」てゆーことかなと。
今は忙しさが楽しさでもあるから、私は忙しい状況は好き。
はまるとまた欲しくなる。忙しさの快感を一度味わうと、マジでジャンキーになる。
フラッシュバックで全身の毛穴が逆立つ感じ。
初めて恋心を意識したときの胸の高鳴りに似てる。
いや、人間としていいかわるいかは…?である。
忙しさで胸躍る私は、心をなくしてるのか否か。
まぁ正常ではなさそうというのはなんとなく…。